かわいさ、さまざま
「犬派?猫派?」
ー俵屋宗達、竹内栖鳳、藤田嗣治から山口晃までー 展
竹内栖鳳(せいほう)の「斑猫(はんびょう)」が見たくて、山種美術館に行って来ました。
振り返って見つめるネオンブルーの瞳と、フカフカな黒茶と白の毛並み。
もう、猫の体温や息遣いまで聞こえてきそうな傑作です。
画家が沼津の八百屋の前の荷車で寝ていた猫に一目惚れして譲り受け、京都に連れ帰って描いたのだとか。その時この猫を見て、北宋の皇帝・徽宗(きそう)が描いた猫のようだ、と感じてインスピレーションを得たようで、確かに目力の強さが共通している気がします。
当の猫は、作品を仕上げて間もなく、画家が上京した隙にいなくなってしまう。しかし彼にこの絵を描かせるために現れた「運命の猫」は、100年後の今も、私たちを魅了し続けています。
展覧会のもう一つの看板絵は、長沢芦雪の「菊花子犬図」
じゃれ合う無邪気な目をした子犬たちが、イラストっぽくて可愛い♡
そして芦雪の師匠・円山応挙(まるやま おうきょ)の描く「雪中狗子図」(せっちゅうくしず)は、「とろけるように優しくてエモい。思わずヨシヨシと抱き上げてしまいそうな、破壊力抜群の愛らしさです。
芦雪は、師匠の絵の可愛らしさを受け継ぎつつ、表情より動きで愛らしさを表現しているように見えます。この、愛くるしいおバカさん的な愛嬌が、たまらないではありませんか。
他に「カワイイ浮世絵」として有名な、中村芳中の「仔犬」や、神坂雪佳の「狗児」、川合玉堂の「狗子」など、丸っこくてカワイイ系の絵や、擬人化されたり多様なポーズで描き分けられた歌川国芳のお茶目な猫絵などもあって、いろんな「カワイイ」が、ありました。
一方、有名な絵師なのに、あまりかわいくなーい犬や猫もあって、(注:あくまで個人的見解です)
たとえば俵屋宗達「狗子図」。毛のフサフサも瞳の愛らしさも無く「なんだか、こういう電動のオモチャありそう」と思ってしまう。(じーっと見てると、渋い可愛らしさが滲み出てくるような気もしますが…)
それから伊藤若冲「狗子図」、釣り上がった目がコワイ。鶏はあんなに見事に描けるのに、犬は表情が無くて狐のよう。奥村土牛の「戌」もギョロ目のおじさんのような顔で、かわいいというより、桜の枝を引き立てる置物みたいで、同氏の「シャム猫」も、う〜ん…独特。
巨匠だからといって、必ずしも可愛い絵が描けるわけではない、と知りました。(それとも、あれが巨匠たちの感じる「かわいい」なのでしょうか?)
また、写実的だったり、藤田嗣治「Y夫人の肖像」のように、獣らしさを表現する画家もいました。猫好きを自認する藤田は「猫に猛獣の面影のある所がよい」とエッセイで語っている通り、彼の描く猫の目は、どこか挑発的で野生の強靭さを宿しています。
そもそも「かわいい」とはどこにも銘打っていない展覧会なのですから、可愛い必要はなく、単に私の偏向的好みでしかないのですけれど(笑)
その他に印象に残った作品は、速水御舟(はやみ ぎょしゅう)の「翠苔緑芝」(昭和3年)や、北村さゆり「蝉の音」(平成8年)、上村松篁(うえむら しょうこう)の「白孔雀」(昭和48年)、横山大観(たいかん)の「木兎(みみずく)」、などが特に素晴らしかった!
横山大観というと、(私にとっては)壮大な富士山の絵の印象が強かったけれど、自宅庭に来た木兎(みみずく)に、こんな慈愛の眼差しを注ぐ方だったんだ〜と、見直しました。パッチリお目々の、ほっこり木兎に、あなたも目尻が下がるはず。
それに「蝉の音」は、2mほどの大きなパネル作品で、写真のような透明感があり、見ていると心が癒されます。レトロな作品世界を旅して、ようやくタイムマシンで現代に戻ってきた時の不思議な安堵感、みたいな感覚を覚えました。
想像以上に見応えのある展覧会でしたよ〜。
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