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天使のいるところ

8年ほど前の今頃の季節、私は道で天使のような方に出会いました。

冬の冷たい風が吹く夕方、私は小学生だった息子を近所の小児科に連れて行くところでした。
横断歩道で信号を待っていると、右手から少し小太りの女性が歩いて来ました。
みんなダウンコートを着ているような時期なのに、綿の薄い服を着て、色の組み合わせも奇妙でした。
おそらく知的障がいのある、経済的に厳しい環境にいる方なのでしょう。

その女性は、近くに来ると、まだ16~18歳くらいの少女のように見えました。
ニコニコしながら私達親子の前に来ると、息子を見つめて愛おしそうに頭を撫で始めました。

笑顔が純粋で美しく、彼女自身が光輝いているように感じられました。
私は、こんなふうに感じる人に会った事がなかったので、
初めて見る美しい笑顔に感動して、嬉しくて、高揚した気分になっていました。

その時、隣から顔を出したお婆さんに、ギョッ!
失礼を顧みずに言えば、むかし教科書で見た地獄絵図の、餓鬼そっくりの顔立ちだったからです。
背の曲がったお婆さんもまた、今どき見かけない、薄くて祖末な身なりでした。

顔をしかめ、動物でも追い立てるように彼女の袖を引いて歩かせようとしました。
お婆さんが彼女の存在を恥じている様子は明らかです。
それでも彼女は気にするふうもなく、笑顔でバイバイと手を振りながら、小突かれ歩かされて行きました。

もう、彼女が気の毒でなりませんでした。あんな無垢な笑顔の少女が蔑まれて暮らしているのに、何も力になれない自分が悔しくて、思い出す度、悲しさと腹立たしさを感じていました。

ところが最近、そうではない事に気づいたのです。

お婆さんは、自分が彼女の面倒をみている、と思っているでしょうが、逆に彼女のほうが、お婆さんを助けているのだろう、ということ。
そして、ああした人の側にいる事こそ、彼女のような人が使命として意図して来た事なのではないか、ということでした。

本当の天使は、きれいな服を着て、美しい場所で、手の汚れない仕事をしているわけではないんだ、と思いました。

暗くて気の滅入るような、人の醜さがある場所にこそ、彼らは降り立つのかもしれない。
そうした場所こそが、天使が最も天使たりえる場所なのではないだろうか、と。

自分の同情が全く的外れであった事に、嬉しくなりました。

虐げられているように見える彼女のような人たちこそ、むしろ強くてEQの高い賢明な人達であり、救いの必要な場所にいて、人の成長に奉仕している方たちではないでしょうか。

エッセイ

Posted by yuko hasegawa