宝物は誰のもの?

とても綺麗な、まるで声優さんのようにいい声をお持ちなのに、
ご本人はその声が嫌いで無くしてしまいたかった、という動画を見て、
天賦の才能や容姿(これを宝物、とすると)
宝物って、誰のものなの?と、考えてしまいました。
先日、翻訳者の山川亜希子さんが、
ご夫婦で訳された『アルケミスト』の中に書かれているという、
王様の磨いた玉の話をされていました。
ある王様が、原石の玉を磨いて、磨いて、素晴らしく磨き上げた時、
盗人がそれを持ち去ってしまった。
(本来なら、そこまで力を尽くして仕上げた宝物を盗まれたら、
落胆するし、怒りも湧いてくるだろうに)
王様は、「これで、いいんだ」と気づいたという。
美しい、素晴らしく美しいその玉(宝物)が、自室の中にある限り、
自分しか見られない。
しかし、盗み持ち出されたことによって、多くの人がその美しさを目にするだろう、
それは、素晴らしいことだ、それでいいんだ、と。
才能や容姿、能力、その他、素晴らしいものは、
実はそれを持っている人間のためというより、
それを受け取る人のためのもの なのかもしれない、と思いました。
宝が周りの人に与えられて、それが巡り巡って、
さらに素晴らしく🌟美しくなって自分の元へ帰ってくる。
それこそが本当の宝ものなのでは?