今の私の完璧
私は完璧主義なところがあります。
今はある程度寛容になってきましたが、以前は、完璧でない自分が許せませんでした。
「自分が望む」完璧さを、すべての面で自分に要求して、自分を痛めつけていました。
でも皮肉なことに、完璧であろうとすればするほど「自分の望む」完璧さから遠ざかっていく苦しみを味わいました。
もがき苦しみながら、救いを求めていろいろな本を読み、少しづつ少しづつ自分に寛容になってこれました。
ある時、「凡庸でカッコ良くない、今の自分でいいや」「この未熟な自分を晒して生きていこう」という覚悟みないなものが湧いてきました。
加えて、自分は「悟ってなくて良かった」と思いました。
悟ってないからこそ、不完全な(スピ的には完全なのでしょうが)自分を恥じて苦しみ、その苦しみから脱する、この人間らしい感覚が味わえたのだ、と思えました。
「凡人、バンザイ!」です。
そしてふと、今の自分が完璧なんだと気づきました。
◯◯年◯○月◯○日、◯○時◯○分の私は、この瞬間において完全なのだと。
過去の、今より未熟だった私も、その時点では自分のペストを尽くしていた、という意味で完璧だったし、10年後の、おそらくもっと成長している自分も、その時において完璧なのだ、と。
今まで「完璧になりたい」と思っていたのに、実はいつも「その時点での」完璧だったことに気づいたら、心がすうっと、ラクになりました。