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鎌倉大町方面の旅(後編) 妙法寺

2024-08-17

妙法寺総門

安国論寺を出てから、徒歩5分ほどで妙法寺へ。
ここは「苔寺」の別名を持つ、苔の石段が有名なところ。
入口の受付で300円の拝観料を納めて入ります。

まず本堂でお参りしてから案内板に従い、苔の石段へ向かう途中に、白い桃の花や爽やかな薄紫の大根の花が一面に広がり、新緑のもみじが風に揺れています。

妙法寺の薄紫の大根の花

朱塗りの仁王門を通り(江戸時代、11代将軍・家斉〈いえなり〉公を迎えるため朱塗りであった、とか。Wikipediaより)、苔の石段を眺めながら(苔の保護のため立入禁止)右手の階段を登り、水戸家によって建てられたという法華堂へ。

朱塗りの仁王門

この寺は、日蓮聖人によって開山された日蓮宗のお寺で、境内の奥には日蓮聖人が20年に渡って暮らしたとされる住まい跡(松葉谷御小庵跡)もありますが、実質的な開山は5代目となる日叡〈にちえい〉上人とのこと。

日叡上人は、父・護良〈もりよし〉親王(後醍醐天皇の第三皇子で、鎌倉幕府を打倒した主要メンバーであり、一時は征夷大将軍に任ぜられるも失脚して幽閉、暗殺される。鎌倉宮の主祭神)の菩提を弔い、母・南の方の墓も建てて、ご自身の墓も母君の近くに建てられています。

江戸時代には水戸徳川家出身者がご住職となった縁からでしょうか?徳川家斉公はじめ徳川御三家や肥後細川家などから尊崇を集めたそうです。

下から見上げた苔の石段
横から見た苔の石段

法華堂から鐘楼(しょうろう)が見えるので近づいたら、つくのは「禁止」の札がありました。
鐘楼の横には更に上に登る石段があり、頑張って登ると日蓮聖人の御小庵跡があり、そこから更に右手の石段を登って行くと、大塔宮〈おおとうのみや〉供養塔がありました。
(大塔宮というのが、護良親王の称号)

ここまで登ると、さすがに運動不足の身にこたえ、ハアハアと息を切らして辺りを見回すと、木々の向こうに市街と海が見渡せました。この日はあいにく曇天でしたが、晴れると富士山まで見えるようですね。

大塔宮供養塔近くからの眺望

御小庵跡から反対側(左方)には、日叡上人や、母・南の方の御墓があるようですが、疲れてお参りを断念しました。

鐘楼脇まで降りると小雨がパラつき出し、傘を差しながら出口へ向かって歩いていく先に、真っ白な美しい法衣をまとったお坊さん(ご住職?)が立っていて、地面を見ながら「これはマツカサ茸ですね」と教えて下さいました。

マツガサ茸

出入口の前に来ると、受付の方が「今日は花まつりの日ですから」と言って、小さな紙コップに甘茶を振るまって下さいました。
初めて口にした甘茶は、砂糖のように味覚で感じる甘さではなく、脳に繋がる「甘さ」を感じるスイッチを機械的に押して来るような…「感覚神経」的な甘さ。甜茶に似た味わいです。

決して派手ではなく、古(いにしえ)の歴史と、野趣ある静かな佇まいの中に品格を感じる、そんなお寺でした。

 

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