// Googleアドセンスコード

ちばしび常設展(5月)

2024-06-17

千葉市美術館の5月の常設展を振り返って。(毎月、展示替えが行われます)
企画展の「板倉鼎・須美子展」も見ましたので、内容は後ほど書きます。

毎回、圧倒的ボリュームの「ちばしび」企画展(都内の美術展よりボリュームが多いので、満足感あります)に比べて、こぢんまりした展示ですが、あちこち色々な、時代も作風もバラバラな作品が出ていて、ちょっとした宝(自分好みの作品)探し気分が味わえます。
さりげなく企画展と関連のある作品が飾られていて(時代背景や同時代画家、交流のあった画家の作品など)二度美味しい。
区切られた展示室の、向かって右側のスペースには、現代アートの大型作品が展示されている事が多いです。5月は白井美穂さんでした。(白井美穂さんの作品については、また別の回で書きます)

 

まず足が止まったのが、江戸時代後期に活躍した文人画家・中村竹洞(1776-1853)の襖絵「山水図襖」(文化年間1804~1818年の末頃)

山水図襖(中村竹洞)

展示の説明文に、竹洞は「静謐な山水画の名手」と書かれていましたが、本当に水を打ったように静かな絵画世界に引き込まれました。
これまで山水画というと、(個人的には)「枯れた古くさい水墨画」「老人ぽい」などの印象があって、正直興味がなかったのですが、この襖絵によって山水画の魅力に気付かされました。

内観の世界、色彩という生命力を削ぎ落として骨格だけが残り、感情を超えた感覚に訴えるような絵、とでも言うのでしょうか。心が鎮まり、瞑想的な精神状態になります。
山水画は、実際の風景を描くというより、心象風景を自然で表す絵なのですから、それも当然ですね。

竹洞の静けさが際立ったのは、同門で同郷のライバル・山本梅逸の山水画と見比べた時でした。
梅逸の絵は、どこか人懐こいような可愛らしさがあって「生命力に溢れた」絵だったのです。(現物の写真が無くて、ごめんなさい)
この人は周りから好かれた人だったのだろうなぁ、なんて思いました。

一口に山水画と言っても、画家によって雰囲気が全く違うものなんですね。
若い頃わからなかった墨絵の良さ、枯淡の味わいがわかるようになったのが嬉しいです。

 

他に、企画展の板倉夫妻が活躍したパリにちなんだ作品の中で、惹かれた作品を幾つかご紹介します。

1909年(明治42年)に、翌年の日英博覧会で日本の木版画実演のために渡英して、1934年(昭和9年)まで滞在した後、パリに移った木版画家・漆原木虫(うるしばら もくちゅう)の作品を2点。
大英博物館の嘱託になるなど、ヨーロッパでその技術や芸術性が高く評価されていた方です。

糸杉(漆原木虫)木版多色摺

「糸杉」というタイトルは、思わずゴッホを想起してしまいますが、こちらは日本人らしい浮世絵の雰囲気がありますね。

牡丹(漆原木虫)木版多色摺

こちらの版画の色鮮やかさと細やかさは、あたりを華やがせます。ヨーロッパの方々も、さぞ感嘆されたことでしょう。

木虫より30年以上前に、先駆けとなってフランス留学していた画家・山本芳翠(やまもと ほうすい)の絵もありました。1878年(明治11年)に、パリ万博のスタッフとしてフランスに留学し、1887年(明治20年)に帰国しています。

花を抱く少女(山本芳翠)

可愛らしい小花を溢れるほど抱えながらも、少女の思い詰めたような一途な瞳が、印象的です。

そしてパリで板倉鼎も会っていた(一緒に集合写真に収まっている)藤田嗣治。
才能のある人の絵というのは、やはり何か違う、魅惑的な光を放っているものですが、藤田嗣治のこの素朴な絵を見た時も、それを感じました。

「夏の漁村(房州太海)」藤田嗣治

帰国して滞在した自宅を描いたようですが、この空の色、構図、少し褪(あ)せたような穏やかな色彩…。そこに吹く風の感触や匂いまで感じそうで、鄙びた民家を描いただけなのに、この美しさは、さすが藤田嗣治だと感じ入りました。

房州太海(藤田嗣治)

もう一つ、同じ太海(ふとみ)(千葉県鴨川市太海)を描いた作品の絵葉書が有りました。
昭和11年(1936年)開催の第1回春期二科展出品作品。
なぜここに置かれているのかわからない大きな時計の、淡い青紫色と屋根の明るい焦茶、薄灰色がかった緑に、薄曇りの空。アクセントの、鳥居と服の朱赤、といった計算された配色。

平凡な田舎家の入り口に置かれた、洒落た時計の意味するものは何か?
私には、当時最先端の華やかなフランスから田舎に引っ越してきた、藤田のメタファーのような気がします。

このように、企画展との繋がりを意識しながら見ると、感慨深く楽しいです♪

 

〜WEBコーチングしています。よろしければご覧ください〜

幸(さち)ライフコーチングスペース